父のこと

父は今、入院中である。

父は腎臓機能が低下したため、数年前から人工透析をするようになり、だいたい一日おきで病院に通っていた。

現在、日本でも透析患者は2016年で32万9600人ほどいるようだ。日本透析医学会資料より。透析患者は年々増加傾向にあるようで、ここのところは毎年5,000人弱くらい増えている。

父もその増加の一員となってしまったわけだが、透析患者にしかわからないつらいことがたくさんあるようだ。

まず、一日おきに病院へ通わなければならない。

透析の間は約3~4時間ほど、じっとしていなければならない。(普通の人から思えば、ただ寝ているだけじゃないかと思うけど、寝返りもできない数時間はほんとうにつらいらしい)

透析したあとは身体がとてもだるくなり、疲れてしまう。

食事に制限がある。(塩分や水分控えめ、生の野菜や果物はNG、カリウムを多く含む穀物や野菜などもNGなどなど)

シャント(血液透析をするために、外科的手術をして造った血液を入れ替えるための血液回路の部分)の血管がだんだん狭くなるので、そのたびに開く手術をする必要がある。血管にバルーンをいれてそれをふくらませて開くらしい。麻酔できないため、とても痛いらしい。

 ずいぶん前に定年したので、もう会社に勤務する必要もなくなっていたが、父は透析に通い始めたころ、「一日おきに出勤や」と冗談まじりに言っていた。

父はずっと自分の車で病院へ通っていた。病院は近くなので、車で行っても5分足らずほどで着く。病院に通ってくる透析患者らはさまざまな人がいて、歩くのが困難で車椅子の方や、足を切断した方などもいたようだ。父はずっと足がしびれていると訴えていたこともあって、自分が将来歩けなくなり、車いすになったり、足を切断せねばならなくなったときはどうしようと不安をかかえていたようだ。一度、そのような不安をもらしたことがあった。

父が入院したきっかけは帯状疱疹になってしまったことだ。処方してもらった薬がどうやら分量が多かったらしく、腎臓の機能がほぼない父には副作用が強く出てしまい、足に力が入らず歩けなくなり、吐き気を訴え、救急車を呼んだ。入院してから幻覚などの症状もあったらしい。その後、けいれんを起こしたため、抗生剤の点滴を始めると、意識不明になり、寝たきりになってしまった。

父がようやく意識を回復したのは入院後約1か月ほどしてからだった。ことばははっきりしないが、しゃべれるようになったと聞いて、ほんとによかった!と思った。ところが、安心したのもつかの間、再びこちらの言うことがわからなくなり、意識不明となった。このときも抗生剤を入れていたらしい。

再びなんとか喋れるようになったらしいが、まだ自分で食事ができる段階にはなっていないということだ。

年末年始に実家へ帰ったときに毎日父をお見舞いに病院へ行ったが、1か月も寝たきりになっていた父は、身体の筋肉も落ちて、ずいぶんと痩せていた。せめて自分の口で食事をとれるようになれれば、と思うが、なかなかそう簡単ではないようだ。

父が悔しそうに涙を流しているのを見て、わたしも涙がこぼれてしまった。

少しずつでもいいから、回復してもらいたい。