阪神・淡路大震災から23年

今日で阪神大震災から23年。

20年たった、と聞いた3年前、何だか信じられなかった。

20年といえば、生まれたばかりの人が成人する年齢だ。

そんなにも長い年月が経っているのに、まるで昨日のことのよう。(とまでいうのは大げさか?私の実家は兵庫県加古川市です)

当時、私は、神戸の三宮にある貿易会社で働いていた。入社して2年目くらい。ちょうど東遊園地の近くにあるKDDIビルの中に会社が入っていた。KDDIビルは当時まだ新築で、新築のビルに会社が引っ越ししたのだが、いい場所にあったので、嬉しかったなー。でもその新築だったビルに震災後、1ヶ月くらい経ってから会社に通えるようなってから行ったら、壁にヒビが入っていたので、こんな丈夫そうな大きなビルでもヒビが入ってしまうほど、ものすごい地震だったのか、と恐ろしくなりました。

 

地震のあった日のその時間はまだ寝ていました。が、その揺れを感じた時、地球がどうかなってしまったのか??と夢うつつの中で思いました。当時、会社員だった父は朝出るのが私よりも早いので、その時間はもう朝食を食べていたのだと思います。揺れがおさまった頃、「大丈夫か〜?」という声が階下から聞こえてきました。私が寝ていた隣の部屋は弟の部屋で、みると、テレビ(わりと大きめのテレビ画面)が弟が寝ていた布団の上に倒れていました。布団の上に倒れてきただけなので、もちろん弟は無事でした。

 

とりあえず、私は起きて、朝ごはんを食べました。先に父が仕事に出かけました。ところが、すぐに家に帰ってきました。電車が走ってないわー、と言って。

 

それは大変!私も仕事に行けないじゃん、と思い、電話をしようと受話器をとると、うんともすんとも何も言わない。普通、「ツー」という音がするのに、何も音がしなくて、電話をしたくてもできない状態でした。

 

電車も動いてないし、電話もできないし、、、(当時はまだメールもない)というわけで、家にいるしかありませんでした。何度も電話をかけてみて、同じ会社の人に昼前くらいには通じたような気がする。

 

その後、1ヶ月くらい自宅待機するように、と会社から連絡がきました。自宅待機の後、近くに住む同じ会社の人の車に近くの同僚たちが乗せてもらって仕事に行くようになり、少しずつ電車が動くようになって、電車で行けるようになりました。車に乗せてもらって通う期間、大変だったけど、皆でお話しながらすごく楽しく通えたな〜といい思い出として残っています。

 

加古川組は最初、自宅待機でしたが、神戸あたりに住んでいる同僚たちで会社に行ける人は行って、地震でめちゃくちゃになった社内を整えてくれていたということでした。机など、普通こんな風に倒れないでしょ?という倒れ方をしていたそうです。神戸あたりにお住いの方は、冷蔵庫なども飛んできた、と言ってました。

 

地震といえば、関東が多いでしょ、関西なんてほとんどないよと思っていたので、あの地震は本当に驚きました。その後、結婚して東京に住むようになり、東日本大震災も味わうこととなるとは。日本は地震大国なので、どこにいても安心というわけではないですね。まぁかと言っていつも不安に思っているわけではないですが。

 

地震予知の研究は進んでいるようですが、スマホ地震の知らせがきた時、必ずすぐに逃げられる状態か、危険を防げる状態かといえば、そうとも限らないので、怖いですね。地震がきて揺れが大きかったり、長く続いたら、あ〜、私はこの地震で死ぬのかな〜、いや死にたくないよ〜神さま〜お願い、助けて〜なんて祈ってしまいます。